「世界の半分をお前にやろう」
剣の柄を握り、いざ、と重心を落としたところで鎧に身を包んだ魔王はそう言った。
突然の交渉に力が抜けそうになって、勇者はとっさに自らの身体を少し上に伸ばした。魔王の王座があるだけあって部屋は広く、擦れた鎧の音すら響きを残している。
予想外のことに思わず身体を動かした勇者に対して、魔王は一切身動ぎすることなく王座に座り続けている。あと半歩、勇者が踏み込めば己の首に剣が届く範囲だとわかっていても余裕な姿勢を崩す気はないらしい。肝心の魔王の表情は兜のせいで見えてはいないが。
「それはいったい、どういう意味だ」
交渉するわけにはいかないものの、勇者はこの状況をチャンスだと考えた。ある日突然勇者として持ち上げられ、魔王が何者なのかもわからないまま魔族たちを倒してきたのだ。自分が倒すべき相手を知るのは大切なことだと勇者はこれまでの経験からわかっている。
「言葉の通りでしかない。すぐにでもくれてやる」
淡々と述べる魔王に、勇者は純粋な疑問を投げかけた。
「世界の半分と言ったが、そもそもこの世界のほとんどはお前の領地じゃないだろ。第一俺はそんなものいらないし、むしろ各国から魔族を追い出した報酬として土地を貰ってきた俺の方が持っていると思うんだが」
「ふ、誰もこの現状から世界の半分とは言っていないが?」
嘲笑と共に、魔王は手のひらを勇者に向けた。反射的に剣を抜いて防御姿勢をとった勇者を襲ったのは、勇者の足元から湧き出た魔力だった。それはまるで模様を描くように勇者の周りを旋回する。
「っ、俺をだましたのか!」
剣を振るっても何も斬れず、前へ進もうとした足はどこかの空間に呑まれている。怒りをぶつける勇者に、魔王は面甲を上げて答えた。
「騙してなどいないさ」
その顔を見て言葉を失った勇者は、次の瞬間には魔王の目の前から消えていた。旋回を続けていた魔力も霧散した。初めからここには魔王しかいなかったかのように、静寂が重なる。
はっとした勇者ーー否、魔王があたりを見回すと、魔王はいなくなっていた。そして、やけに重い兜を脱ごうとして気づく。
「……これ、魔王の鎧か……?」
理解が追いつかない魔王のもとに、「魔王様!」と声をあげて駆け寄ってきた魔族が一人。魔王はこの魔族をよく知っている。勇者としてここにくるまでに何度か衝突し、倒したはずの魔族だ。
「勇者が現れました。どうかご決断を!」
敵だったはずの魔族が、指示を待っている。ふざけているわけではないことくらい、見ればわかった。魔王は確信するためだけに、一つ訊ねた。
「今日の日付はなんだ」
返ってきた答えは、勇者として初めて魔族に勝利し、これで魔王の支配する土地は世界の半分まで減った、と喜ばれた日付だった。